まず、有名な落語の一つ「大岡裁き」を。
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ある子供の母親だと主張する二人の女性。
双方共に「私こそがこの子の母親だ」と頑として引かない。
二人の争いは収まらず、ついに大岡越前の奉行所で白黒つける事になった。
大岡越前は二人にこう提案した。
『その子の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい。 勝った方を母親と認めよう。』
その言葉に従い、二人の母親は子供を引っ張り合った。
当然ながら引っ張られた子供はただではすまない。
たまらず「痛い、痛い!」と叫んだ。
その声を聞いて、片方の母親が手を離した。
引っ張りきった方の母親は、嬉々として子供を連れて行こうとする。
が、大岡越前はこれを制止した。
『ちょっと待て、その子は手を離したこちらの母親のものだ。
本当の親なら、子供が痛いと叫んでいる行為をどうして続けられようか』
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今も続く原発問題、改憲、そしてこれからも次々に現れるであろう市民を苦しめる政府の政策に対して、命をかけて市民を守ろうという気概と、なによりも本当に温かい心のある、日本の首都東京の都知事にふさわしい人物は誰なのか。
宇都宮氏が降りられたのは、痛い痛いと叫ぶ市民の心を思い量ってのことと思います。
支配を欲する心は、巧みな方法で分断の刃を打ち込みます。
支配を欲する心が生み出す様々な戦術に乗らず、離れていること。
「戦わなかったインディアン」の話しも参考にしています。