今日は朝から終日雨。
こういうときは草刈りがいいです。
涼しくて身体が動きます。
カッパを着て「やるぞ」と気合いを入れたら、農園の中から周囲へと順番に刈っていきます。
終わった後は見た目にすっきりと、気の流れが良くなった感じがします。
(見えませんが)
さて草刈りというのは、「命ある草」をひたすら殺戮する非道な作業と見ることもできます。
(だから草も虫も傷つけない、不耕起・不除草の福岡式自然農法に憧れるわけです)
でも、草刈りの最中に、ふと、こう思いました。
「今日中に全部刈ってしまおう」と、時間に追われ、ひたすら機械のように殺気だって刈るなら、それは無差別大量殺戮。
一方で、風通しのいい爽やかな農園になるように、身体にできるだけ負担にならない方法で丁寧に、サーァッ、サーァッと刈る感覚を感じながら刈っていくなら、それは刈られる草にとって人生の成就。
だから最後は、刈った草をレーキで集めて燃やしたり、畑に肥料として入れたりして、綺麗に始末したい。
そして恐らく、草刈りの時の心持ち次第で、自分の人生のタイムラインが「大量殺戮の世界」または「武士道の世界」に別れていくのではないかと思ったわけです。
読んで下さっている方に、言いたいことが伝わっていればいいのですが。
参考)「いまこの一瞬のあなたの意識byアシュタール」 破・常識 あつしの歴史ドラマ ブログ!2016/7/9